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武田信玄は、甲斐国守護の武田信虎の嫡男として戦乱の世(戦国時代)に誕生したのである。だが、嫡男(跡継ぎ)でありながら・・・
武田信玄(1)「甲斐の虎誕生」
武田信玄は、甲斐国守護の武田信虎の嫡男として戦乱の世(戦国時代)に誕生したのである。だが、嫡男(跡継ぎ)でありながら父(信虎)とは折り合いが悪く次第に溝が深くなってしまうのである。
そして、父・信虎を駿河へ追放。甲斐国の主となるのである。
武田信玄−幼名太郎勝千代、元服して晴信。
甲斐の国は、東は大菩薩の連峰や御坂山地、南は富士山の連嶺、そして甲府盆地の西空を遮断している明石山系(南アルプス)の農鳥山、間の山、北岳、鳳凰山、駒ケ岳、釜無山、北は赤岳を主峰とする八ヶ岳連峰などによる山岳地形である。
この甲斐国守護の武田左京太夫信虎の嫡男として生まれた。しかし、生まれた時代が群雄割拠の戦国時代なのであった。
大永元年(1521)甲斐国府中(甲府市)の要害山城で産声を上げたと言われている。ちょうどその頃、武田家の拠城、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に今川勢が攻め込もうと緊迫した情況であった。
そして、ついに今川勢の部将・福島上総介正成が1万5000の兵を率いて甲府盆地に乱入してきたのである。
武田家の存亡の危機。
その時、なんと
要害山城から「御嫡男誕生!」と叫びながら使番が走り下ってきたのである。
すると、武田軍の将兵たちは
「おっおおう!」と雄叫びを上げた。
これで、武田軍の士気は一気に上昇したのである。猛反撃開始。そして、敵将・福島正成の首を討ち取った。お味方の大勝利。
このことで信虎は存亡の危機を脱し、奇跡的な大勝利を導いてくれた記念として「勝千代」と命名したと言われている。
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