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信玄の時代の甲州金の利用方法は、通貨としての金ではなく・・・
風林火山 信玄の「甲州金」は凄かった!
武田信玄の生まれた甲斐の国は、金山に恵まれていた。そのため、古くから金山開発を行っていた。
金山開発が本格化したのは、信玄の父・信虎の時代である。最盛期には、40箇所以上の金山で採掘されていたという。
産出量が多かったのは、信虎・信玄時代である。勝頼の時代には、減少傾向にあった。
甲斐の金山で産出された甲州金(こうしゅうきん)は、純度が高かった。純度98%とされる。
この時代で、これほど純度の高い金は、他国ではほとんど産出されていない。そのため、「甲州金」は全国に知れ渡るブランドとなっていた。
甲州金の形は、「碁石(ごいし)金」というものが基本的で、その他にも、長方形のものや、「太鼓判」と呼ばれる全国的に流通しているものもあった。
どの甲州金の形でも、重さを基準に価値が決められていた。
信玄の時代の甲州金の利用方法は、通貨としての金ではなく、「高価なモノ」として利用されていた。そのため、金を売って、銭に替えていたのである。
信玄は出陣の際、碁石金も一緒に持っていった。
そして、戦功のあった家臣に褒美(ほうび)として碁石金を与えていたとされる。
その他にも、寺社仏閣や諸大名への贈答品として、また、商人との高額取引として、また、武田氏に収める税(金納)として甲州金が利用されていた。
金納とは、山国の甲斐では水田が少なく、米の代替として金を納めることが認められていたのである。
金山は、鉱山採掘専門業の「金山衆」が、信玄から開発許可を得て経営を行っていた。
また、金山衆は信玄の要請を受け城攻めにも参加している。得意の採掘技術と土木技術を発揮して活躍する。
「疾 如 風 徐 如 林 侵 掠 如 火 不 動 如 山」
【 風林火山 】 疾(はや)きこと風(かぜ)の如(ごと)く 徐(しずか)かなること林(はやし)の如(ごと)し 侵掠(しんりゃく)すること火(ひ)の如(ごと)く 動(うご)かざること山(やま)の如(ごと)し
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