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【 上杉謙信 】上杉謙信もまた、「上杉軍道」と呼ばれる軍事用道路で軍勢を素早く移動させていた。関東・北信濃へ向かうルート。春日山城から・・・
【軍事用道路?】武田信玄・上杉謙信 戦国最強神話
【 武田信玄 】
武田信玄は、甲斐から北信濃へ素早く軍勢を移動させるために軍事用道路を建設したという。それが、「棒道(ぼうみち)」と呼ばれる軍事用道路だ。
この「棒道」の文字通り、「棒」のように真っすぐな道。直線的な軍事用道路の建設で、大軍の移動を迅速にした。まさしく、「疾きこと風の如く」である。
そして、この「棒道」は、「上の棒道」、「中の棒道」、「下の棒道」の3本のルートがあったという。
この3本のルートのうち、「中の棒道」と「下の棒道」は古くから使われていたとされ、武田信玄が建設したのは「上の棒道」とされている。
「上の棒道」は、穴山(あなやま)−若神子新町(わかみこしんまち)−渋沢−大八田(おおばった)−白井沢−小荒間(こあらま)を経て、信州堅沢−大門峠を越えて北信濃へ向かうルート。
また、軍事用道路と言っても一般の領民も通行できたという。そのため、領内の経済発展にも大いに貢献したとされている。
しかし、「棒道」の建設・整備・過程・ルートに関して、まだ解明されていない点も多いという・・・
【 上杉謙信 】
上杉謙信もまた、軍勢を素早く移動させるために軍事用道路の整備に力を注いでいた。それが、「上杉軍道」と呼ばれる軍事用道路だ。
「上杉軍道」は、2本のルートが知られており、関東へ向かうルートと北信濃へ向かうルートがある。
関東へ向かうルートは、越後からほぼ一直線で国境の三国峠へ向かう道。要所に城が整備されており冬季の行軍も可能であったという。
北信濃へ向かうルートは、越後から新井市の堀ノ内−妙高山の裾野を通って野尻湖−善光寺へ向かう道。
春日山城から、ほぼ3日で到達できる距離であった。
上杉謙信は、このルートを通り、いざ川中島へ
そして、武田信玄と
「川中島の戦い」で雌雄を決するのか・・・
【 武将アイコン 】は、「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
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