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【 上杉謙信 】越後の国も金山に恵まれていた。佐渡・相川金山、下越・高根金山、中越・上田金山など。春日山城には莫大な量の金が蓄えられていた・・・
【金山開発?】武田信玄・上杉謙信 戦国最強神話
【 武田信玄 】
甲斐の国において金山開発が本格化し始めたのが父・武田信虎の頃、武田信玄の頃になると最盛期を迎え、武田勝頼の頃には減少傾向にあったという。
武田信玄の頃には、南蛮渡来の「灰吹法(はいふきほう)」と呼ばれる精錬技術が導入され、金の産出量が膨大に増えた。
甲斐の金山で産出された甲州金(こうしゅうきん)は、武田信玄の軍事活動を支える重要な財源でもあった。また、純度が高く98%とされている。
甲州金の形は、「碁石(ごいし)金」というものが基本的で、その他にも、長方形のものや、「太鼓判」と呼ばれる全国的に流通しているものもあった。
また、日本で始めて貨幣制度を導入したのも武田信玄と言われ、その後、徳川幕府に引き継がれたとも言われています。
最大の産出量を誇ったのは黒川金山だ。山梨県塩山市東部、鶏冠山(1710m)山腹。最盛期には、「黒川千軒」と呼ばれる鉱山町が作られていたという。
その他にも、中山金山、湯之奥金山、雨畑金山、黒桂(つづら)金山、保(ほう)金山などがある。
武田信玄のエピソードが残っている。
武田信玄は出陣の際、いつも碁石金を持って行くという。そして、合戦で武功をあげた家臣に当座の褒美(ほうび)として、両手で三すくいの碁石金を与えているのだ。
金山採掘は、鉱山採掘専門業の「金山衆」が武田信玄から開発許可を得て経営を行っていた。
また、金山衆は武田信玄の要請を受け城攻めにも参加する。得意の採掘技術と土木技術を発揮して活躍するのだ・・・
【 上杉謙信 】
越後の国もまた甲斐の国に劣らぬほど金山に恵まれていた。
越後の金山は、佐渡の相川金山、下越の高根金山、中越の上田金山などがある。慶長3年(1598)、江戸時代の頃には全国の総産金量の6割を占めていたという。
上杉謙信の頃の金の産出量は記録には残っていませんが、ほぼ同水準ではないかと考えられています。
天正6年(1578)3月13日、上杉謙信急死。すると、2人の養子「上杉景勝」と「上杉景虎」による後継者争い「御館の乱」が勃発。
上杉景勝は、いち早く春日山城の本丸、金蔵、兵器蔵を掌握した。その後、上杉景虎を敗り後継者となっている。
このとき作成された「春日山城内惣在金目録」によると、合計2万7140両という莫大な量の金が蓄えられていたという。
これだけでも上杉謙信の頃には、相当量の金が採掘されていたのではないかと想像する・・・
【 武将アイコン 】は、
「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
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