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【 上杉謙信 】「軒猿」と呼ばれる忍者集団。この「軒猿」は、「第4回川中島の戦い」で活躍。また、「飛び加藤」という本名・加藤段蔵の話が残っている・・・
【忍者・忍?】武田信玄・上杉謙信 戦国最強神話
【 武田信玄 】
戦国時代には、現代のような詳細な地図などありませんでした。
合戦に勝つためには、敵国の情勢や地理などの情報を知ることが軍事戦略上極めて重要と言えた。道、間道、川幅、橋、浅瀬、丘陵、武将、城など。
そのため、戦国武将たちは「乱波」「透波」「草の者」などと呼ばれる忍者を使っていた。
もちろん武田信玄も忍者を使っている。また、「甲斐の足長坊主」と呼ばれたほど武田信玄は情報収集に長けていたのだ。
武田信玄の使った忍者は、「乱波」「透波」「三ツ者」などの名で知られている。忍者集団が組織されていたのは、甘利備前、飯富兵部、板垣信方など。
また、武田信玄は信州佐久郡望月城の未亡人・千代女を「巫女頭領」にし、領内から身寄りのない少女を集め「くノ一」を養成していたと伝わる。
その「くノ一」で有名なのが歩き巫女の集団である。「歩き巫女」とは、各地を回って芸や舞を見せ、時には男性に身を任せることもあったという。
忍術から男を虜にする性技まで教え込まれた「くノ一」、「忍者」たちの活躍によって、武田信玄は重要な情報を知ることが出来たのであった・・・
【 上杉謙信 】
上杉謙信の忍者集団と言えば「軒猿」。
この「軒猿」は、「第4回川中島の戦い」において武田信玄軍の「啄木鳥の戦法」をいち早く見抜き、上杉謙信に知らせたという一説がある。
「啄木鳥の戦法」とは、武田別働隊が妻女山に布陣する上杉軍の背後を急襲し、下山してきたところを武田軍本隊と挟撃しようとする戦法である。
この「軒猿」の知らせを受け、武田別働隊が攻めて来る前に上杉謙信は夜陰に乗じて妻女山を下山。千曲川を渡河。そして、夜明けとともに武田信玄本隊に猛攻を仕掛けたという。
また、上杉謙信は忍者の他にも行商人などから情報を収集していたとされる。それは、上杉謙信が京や関東の情勢を把握していたという背景があるからだ。
武田信玄と上杉謙信の2人の間には、「飛び加藤」という本名・加藤(加当)段蔵の話が残っている。この時代、忍者が名を残すのは珍しいことである。
「飛び加藤」は、とにかく跳躍力に優れていたためにこの異名がついたとされている。
「飛び加藤」は、はじめ上杉謙信に仕えたが、その腕前が凄かったため命を狙われるようになったという。
そして、上杉謙信のもとを去り武田信玄に仕えるようになった「飛び加藤」だが、またその腕前を警戒され、その後、暗殺されたと伝わる・・・
【 武将アイコン 】は、
「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
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