- 共通テーマ:
- 戦国時代・戦国武将 テーマに参加中!
【 上杉謙信 】「鉄砲は卑怯な武器」とし、多くを装備させなかったという。「鉄砲」を装備した織田信長軍を「手取川の戦い」で撃ち破る・・・
【鉄砲・火縄銃?】武田信玄・上杉謙信 戦国最強神話
【 武田信玄 】
武田家当主・武田信玄、勝頼は、鉄砲(火縄銃)の威力を軽視していたのではないか? と言われています。
その理由は、「三方ヶ原の戦い」武田軍の「投石」によって合戦の火ぶたが切られたという。この「投石」という戦法は当時でも時代遅れといわれているからだ・・・。
また、「長篠の戦い」の敗戦結果から、定説によると織田・徳川連合軍の新兵器「鉄砲(火縄銃)」の一斉射撃をうけ武田騎馬軍団は総崩れしたという。
しかし、武田信玄は決して鉄砲の威力を軽視していなかった。
武田家はすでに弘治元年(1555)、川中島近辺の旭山要害に、鉄砲300丁を配備していたという記録が残っている。
1543年、日本に鉄砲伝来。それから約10年後、武田家は最前線に鉄砲300丁を配置していた。ということは、武田家全体の鉄砲保有数はかなりあったと考えられるだろう。
実際に武田軍は、「長篠の戦い」長篠城攻めで鉄砲を使用しており、城壁に弾痕(だんこん)が残っているという記録もある。
だが、武田家が鉄砲を保有するのは大変なことであった。
それは、駿河を支配下に治めるまで、武田家の領国は海に面していなかった。そのため、弾丸の材料・鉛、火薬の材料・硝石などの入手が困難であったと想像できる。
このことが、貿易港・堺を支配下にもつ織田信長と武田家との差になったといえるだだろう・・・
【 上杉謙信 】
上杉謙信には次のような説がある。
「鉄砲は卑怯な武器」とし、多くを装備させなかったという。
『上杉家軍役張』によると鉄砲316丁、上杉謙信軍の最大動員兵力を8000と考えた場合、鉄砲の装備率は4%を切ることになる。
上杉謙信には財力もある。また、直江津湊や柏崎湊を支配しており、畿内とのつながりもある。それなのに意外と低い鉄砲装備率なのだ。
ただ、畿内はすでに織田信長の支配下にあり簡単に鉄砲を入手できなかったのであろうと想像する。
だが、その最新鋭の武器「鉄砲」を装備した織田信長軍を「手取川の戦い」で上杉謙信軍が撃ち破っているのだ。
軍神・上杉謙信という武将は一体どのような戦闘をするのだろうか・・・
【 武将アイコン 】は、
「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
[スポンサードリンク]

