2008年01月13日
上杉謙信の父は、越後守護代・長尾為景。上杉定実を守護に擁立し、長尾為景は越後国を支配しようとした。その頃の越後国は戦乱の真っ只中であった。
上杉謙信の母は虎御前。虎御前は、観音菩薩に深く帰依していた。その影響を上杉謙信は受けたのかもしれない。上杉謙信生誕伝説とは・・・
上杉謙信の母は虎御前。虎御前は、観音菩薩に深く帰依していた。その影響を上杉謙信は受けたのかもしれない。上杉謙信生誕伝説とは・・・
上杉謙信(1)「越後の龍誕生」
上杉謙信(うえすぎけんしん)の父は、越後守護代・長尾為景(ながおためかげ)。
長尾為景は、永正4年(1507)に守護・上杉房能(うえすぎふさよし)、永正7年(1510)には関東管領・上杉顕定(うえすぎあきさだ)を滅ぼした。
そして、上杉房能の養子・上杉定実(うえすぎさだざね)を守護に擁立し、長尾為景は越後国を支配しようとした。
その頃の越後国は戦乱の真っ只中であった。
長尾為景の子には、先妻との間に嫡男・長尾晴景(ながおはるかげ)、後妻・虎御前(とらごぜ)との間に娘・仙桃院(せんとういん)、末っ子・長尾景虎(ながおかげとら)、後の上杉謙信がいる。
上杉謙信の母・虎御前は、長尾一族の栖吉城城主の娘であったとされ、また観音菩薩に深く帰依していた。その影響を上杉謙信は受けたのかもしれない・・・。
上杉謙信の幼名は虎千代(とらちよ)。寅年に生まれたため虎千代と名付けられたという。
以後、上杉謙信は改名を重ねる。
上杉謙信生誕伝説
虎御前は夢を見た。
枕元に修験僧(しゅげんそう)が現われて、お告げをしたという。
修験僧:「胎内をお借りする」
虎御前:「私には夫がいます」
修験僧:「ならば、為景にこの旨伝えよ」
夢から覚めた虎御前は、長尾為景にこの夢のことを話した。
長尾為景:「これは、天から男児を授かるというお告げではないか・・・」
その夜、再び修験僧が現われた。
修験僧:「では、胎内をお借りする」
虎御前:「あなた様はどなたですか?」
と尋ねると、
修験僧:「板東箱根山の者なり」
と、答えた。
修験僧の正体は、箱根に祀られていた曽我兄弟の弟・曽我五郎時宗であったという。
このようにして、軍神・上杉謙信が誕生した。
もちろん、真偽の程は確かではない・・・。
曽我兄弟とは、曽我物語「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした軍記物語で有名。江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などで民衆の人気を得ている。
なお、曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人も「虎御前」と呼ばれていたという・・・。
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上杉謙信(うえすぎけんしん)の父は、越後守護代・長尾為景(ながおためかげ)。
長尾為景は、永正4年(1507)に守護・上杉房能(うえすぎふさよし)、永正7年(1510)には関東管領・上杉顕定(うえすぎあきさだ)を滅ぼした。
そして、上杉房能の養子・上杉定実(うえすぎさだざね)を守護に擁立し、長尾為景は越後国を支配しようとした。
その頃の越後国は戦乱の真っ只中であった。
長尾為景の子には、先妻との間に嫡男・長尾晴景(ながおはるかげ)、後妻・虎御前(とらごぜ)との間に娘・仙桃院(せんとういん)、末っ子・長尾景虎(ながおかげとら)、後の上杉謙信がいる。
上杉謙信の母・虎御前は、長尾一族の栖吉城城主の娘であったとされ、また観音菩薩に深く帰依していた。その影響を上杉謙信は受けたのかもしれない・・・。
上杉謙信の幼名は虎千代(とらちよ)。寅年に生まれたため虎千代と名付けられたという。
以後、上杉謙信は改名を重ねる。
| 年号 | 名前 | 時代 |
|---|---|---|
|
1530年 〜 1542年 |
虎千代 | 幼名 |
|
1543年 〜 1561年 |
長尾景虎 | 元服 |
|
1561年閏3月 〜 12月 |
上杉政虎 | 上杉憲政から関東管領職と上杉姓を譲られる |
|
1561年12月 〜 1570年 |
上杉輝虎 | 将軍・足利義輝から「輝」という一字を与えられる |
|
1570年 〜 |
上杉謙信 | その後 |
上杉謙信生誕伝説
虎御前は夢を見た。
枕元に修験僧(しゅげんそう)が現われて、お告げをしたという。
修験僧:「胎内をお借りする」
虎御前:「私には夫がいます」
修験僧:「ならば、為景にこの旨伝えよ」
夢から覚めた虎御前は、長尾為景にこの夢のことを話した。
長尾為景:「これは、天から男児を授かるというお告げではないか・・・」
その夜、再び修験僧が現われた。
修験僧:「では、胎内をお借りする」
虎御前:「あなた様はどなたですか?」
と尋ねると、
修験僧:「板東箱根山の者なり」
と、答えた。
修験僧の正体は、箱根に祀られていた曽我兄弟の弟・曽我五郎時宗であったという。
このようにして、軍神・上杉謙信が誕生した。
もちろん、真偽の程は確かではない・・・。
曽我兄弟とは、曽我物語「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした軍記物語で有名。江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などで民衆の人気を得ている。
なお、曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人も「虎御前」と呼ばれていたという・・・。
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