- 共通テーマ:
- 戦国時代・戦国武将 テーマに参加中!
翌天文24年1月、長尾景虎は北条城攻めを命じた。 安田景元、柿崎景家、宇佐美定満、直江景綱、本庄実乃、大熊朝秀らが参戦・・・。
「北条城の戦い」長尾景虎
兄・長尾晴景(ながおはるかげ)の後継者となり長尾景虎(上杉謙信)は春日山城へ入城した。
越後を平定した長尾景虎ではあったが、家臣団組織は磐石とはいえなかったのである。
越後国内は、それぞれの国人領主が領土を治め、連合体を形成しその頂点に立っていたのが春日山城の長尾景虎である。
この頃、武田信玄は主従関係を結び磐石な家臣団組織を形成していた。
武田信玄は、越後の家臣団組織を見抜き巧みに内応工作を仕掛けていたのであった。
この内応工作を担当したのが、武田家の重臣・甘利昌忠(あまりまさただ)である。
天文23年(1554)12月、北条高広(きたじょうたかひろ)が長尾景虎に反旗を翻した。
北条氏は、大江広元の子・季光を祖とする安芸・毛利氏と同族である。
大江広元の孫・毛利経光が越後へ入り、北条城を築城したことから北条氏を名乗るようになったと言われている。
北条高広の本拠地は北条城(きたじょうじょう・新潟県柏崎市)。標高140メートルの山に築かれた山城。
北条高広は、長尾景虎の父・長尾為景の代から仕え活躍している。
また、北条高広は「器量、骨幹、人倍にして無双の勇士」と称されるほどの猛将であった。だが、長尾景虎を生涯にわたって悩ます男でもあった。
北条城の西方に位置する安田城城主・安田景元(かげもと)が、長尾景虎の側近・直江景綱(実綱)に北条高広の謀反を報告。
翌天文24年1月、長尾景虎は北条城攻めを命じた。
安田景元、柿崎景家、宇佐美定満、直江景綱、本庄実乃、大熊朝秀らが参戦、北条城を包囲、長尾景虎も出陣して城攻めの指揮を執る。
北条高広は、甲斐・武田信玄に援軍を要請したが応じてもらえなかった。武田信玄の目的は、越後国内の内部撹乱であり攻め込む気などなかったのである。
負けを悟った北条高広は降伏。
長尾景虎は、北条高広を許し本領も安堵した。
北条高広は感激し忠勤に励むはずであったのだが・・・。
【 武将アイコン 】は、
「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
関連記事
・北条高広(きたじょうたかひろ)【越後・上杉家家臣】
・宇佐美定行(うさみさだゆき)【越後・上杉家家臣】
・大熊朝秀(おおくまともひで)【越後・上杉家家臣】
・柿崎景家(かきざきかげいえ)【越後・上杉家家臣】
・直江実綱(なおえさねつな)【越後・上杉家家臣】
・本庄実乃(ほんじょうさねより)【越後・上杉家家臣】
[スポンサードリンク]

