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上杉謙信は武田信玄の智謀を恐れ、また武田信玄は上杉謙信の軍才を恐れた。両雄は、策を巡らすがお互いその策には乗らなかった・・・。
「武田信玄 対 上杉謙信」川中島の戦い
第一次川中島合戦 − 天文22年(1553)
第二次川中島合戦 − 弘治元年(1555)
第三次川中島合戦 − 弘治3年(1557)
第四次川中島合戦 − 永禄4年(1561)
第五次川中島合戦 − 永禄7年(1564)
戦場の舞台となったのは、越後と信濃の国境付近。長野盆地に流れる犀川(さいかわ)と千曲川(ちくまがわ)の合流地点にできた三角州である。
武田信玄の北信濃侵攻により、戦いの火蓋は切って落とされた・・・。
■ 第一次川中島合戦
武田信玄は信濃平定に力を注いでいた。
武田勢は、北信濃で勢力を誇る村上義清(むらかみよしきよ)が守る葛尾城(かつらおじょう)を攻め落とした。これでほぼ信濃を手中に収めたのである。
武田信玄に敗れた、村上義清、高梨政頼(たかなしまさより)ら信濃の豪族たちは越後・上杉謙信のもとへ逃れ旧領奪回の援護を要請した。
この時、上杉謙信24歳。援護要請を快諾。
4月22日、上杉謙信は越後勢5000と北信濃豪族との連合軍を率いて北国海道を南下。向かうは川中島。
上杉勢は、武田勢を蹴散らし葛尾城を奪回。
「恐るべし謙信!」、武田信玄は形勢不利と見るや撤退。それを見て上杉謙信も越後へ引き上げた。
だが、7月下旬、準備を整えた武田信玄は出陣。
葛尾城、塩田城のほか、電光石火の勢いで次々と城を攻め落とした。
すると、再び上杉謙信が信濃へ出陣。
武田勢の先鋒隊を破り、怒涛の勢いで攻め込んできた。そのため、武田勢は上杉勢の退路を断とうと夜襲を仕掛けたのである。
その後、両軍の睨みあいが続いた。
そして、両雄とも進撃をあきらめ上杉謙信は越後へ、武田信玄も甲府へ引き上げた。
第一次川中島合戦の戦況は、お互い力の探りあいに終わったのであった・・・。
■ 第二次川中島合戦
上杉謙信は、武田方の旭山城を攻撃。
これを見て武田信玄も出撃。犀川を挟んで睨みあいが始まった。
その後、膠着(こうちゃく)状態となり、200日余に及んで対峙した。
お互い決め手がなく動けなかったのである。両軍とも物資の補給や兵の士気低下などに苦しむ事となった。
10月、両軍とも川中島から撤退。
こうして、二度目の川中島合戦も終わったのである・・・。
■ 第三次川中島合戦
武田信玄は、信濃勢が守る尼巌城(あまかざりじょう)、葛山城(かつらやまじょう)のほか諸城を攻略。
上杉勢は、その勢いのまま進撃。
一方、武田信玄は勢いのある上杉勢との正面衝突は避け、上杉勢の背後、補給路を断つ作戦に出る。
信越国境の小谷城(おだにじょう)を攻略。上杉勢の補給路である糸魚川(いといがわ)街道を押さえる事に成功したのである。
上杉謙信は、補給路を断たれたことで撤退を余儀なくされた。そして、武田信玄は奪われた領地を取り戻してから甲府へ引き上げたのであった。
こうして、3度目の川中島合戦が終わったのである。
上杉謙信、武田信玄とも決死の覚悟で戦いに挑むのであった・・・。
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