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上杉謙信、武田信玄、両雄はこれまで一進一退の戦いを繰り広げてきた。だが、ついに「雌雄を決する」戦いが今まさにはじまろうとしていた・・・。
「武田信玄 対 上杉謙信」第四次川中島の戦い(前編)
永禄4年(1561)、上杉謙信は関東管領として関八州を席巻!
8月14日、川中島に向けて出陣。その兵力は1万2000〜6000。
上杉謙信は、「此度こそ、信玄の首をあげる」と並々ならぬ覚悟を決めていた。
8月15日、善光寺(ぜんこうじ)へと兵を進め、武田軍の海津城(かいづじょう)目前まで迫ったのである。
一方の武田信玄は、これまで越後の国主として上杉謙信と戦ってきたが、関東管領となった今、これを見過ごす訳にはいかなかった。
「関東管領を倒し、武田の力、天下に示してやる!」
武田信玄の号令のもと、8月16日に「風林火山」の軍旗をなびかせ甲斐(甲府)を出陣。その兵力はおよそ2万0000。
だが、上杉謙信は予想に反して海津城の目の前を通り過ぎ、千曲川を渡って妻女山(さいじょさん)へ登って「毘」、「龍」の旗を掲げそこへ陣を張った。
これには、さすがの香坂虎綱も度肝を抜かれた。武田領内をゆうゆうと進軍して敵地奥深くに陣を張るのだから。
8月24日、川中島に到着した武田信玄は驚いた。
上杉謙信の布陣を見た武田信玄は、海津城へ入るか、それとも妻女山を包囲するか迷っていた。
結局、武田信玄は茶臼山(ちゃうすやま)に陣を敷き、上杉謙信の退路を断ってその様子を伺う作戦に出た。
しかし、上杉謙信はまったく動じる気配がなかった。
その後、両軍とも動かず膠着状態となった。
武田信玄はイライラしていた。それもそのはず、武田領内にいつまでも上杉謙信を留まらせておいては武田家の威信に関わる。
そこへ山本勘助(やまもとかんすけ)が秘策を提案。
その秘策とは、
2万0000の軍勢を二手に分けて、本隊8000を八幡原(はちまんばら)へ布陣、残る1万2000を別働隊として夜陰に乗じて妻女山へ登り、背後から上杉勢を襲撃。
上杉勢は、体勢を立て直すため下山して八幡原へ向かう。そこで本隊と別働隊とで挟撃して殲滅する作戦である。
この作戦は「キツツキの戦法」と呼ばれた。
キツツキとは、木を突き反対側からビックリして出て来る虫を捕らえる習性がある。このキツツキに習って命名された戦法という。
武田信玄は山本勘助の秘策を取り入れ、すぐに準備に入った。
本隊は、武田信玄、弟・武田信繁、息子・武田義信ら12隊。別働隊、香坂虎綱、飯富虎昌、馬場信春ら10隊。
9月9日、武田信玄は全軍に命令。
その時、海津城を見つめる上杉謙信の姿があった。
上杉謙信は全軍に伝令、今から下山して八幡原へ向かうぞ。
武田信玄は、軍勢を二手に分け上杉謙信の正面と背後から挟撃する作戦に出る。一方の上杉謙信は、挟撃される前に下山して正面の敵を襲撃する作戦に出た。
「後編」へつづく
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