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甲・相・駿三国同盟が破棄。今川氏真が救援を求めてきた。ここに上杉謙信の「敵に塩を送る」というエピソードが残っている・・・。
「関東侵攻(永禄8〜9年)」上杉謙信
沼田城(ぬまたじょう)の松本景繁(まつもとかげしげ)、河田重親(かわだしげちか)、小中大蔵少輔、小国形部少輔(おぐにぎょうぶのしょう)、新発田長敦(しばたながあつ)らに軍備を整えるように命令。
また、坂戸城(さかどじょう)の城将らに沼田城へ応援するように向かわせた。
2月14日になると、小山高朝(おやまたかとも)に廐橋城(まやばしじょう)への出陣を求めている。
翌永禄9年(1566)2月、上杉謙信は佐竹義重(さたけよししげ)に参陣を要請して小田城を攻略。
3月、千葉胤富(ちばたねとみ)の属城・臼井城(うすいじょう)の原胤貞(はらたねさだ)を攻めるが、千葉胤富、北条勢が加勢したため上杉謙信は攻略を断念、越後へ帰国した。
9月、上野金山城の由良成繁(ゆらなりしげ)が北条氏康と通じた。
9月19日、武田信玄が上野・箕輪城(みのわじょう・群馬県)を攻略。
12月20日、上杉謙信はまたも三国峠を越え関東へ出陣。
しかし、佐竹義重はこの上杉謙信の要請に応じなかった。逆に武田信玄と通じて結城義親(ゆうきよしちか)の岩城白川城(いわきしらかわじょう)を攻めている。
上杉謙信は、結城義親を救援。
4月、廐橋城代・北条高広(きたじょうたかひろ)が北条氏康に通じたため、上杉謙信は沼田城の松本景繁、小中大蔵少輔、新発田長敦らに北条高広の討伐を命じた。
そして、上杉謙信は色部勝長を唐沢山城将に任命して越後・春日山城へ引き上げた。
これは、武田信玄が駿河・今川氏真を攻めたことによって北条氏康が激怒、同盟破棄となった。今川氏真は上杉謙信に救援を求めている。
上杉謙信の「敵に塩を送る」エピソード
今川氏真、北条氏康は報復処置として甲斐へ「塩止め」塩を送ることを禁止した。
武田信玄は、困り果てた領民を救うため宿敵である上杉謙信に塩の輸送をお願いしたという。
上杉謙信は快諾した。「信玄と戦っているのは弓矢である、米や塩ではない」と言い甲斐へ塩の輸送を命じた。
甲斐・武田の領民たちは上杉謙信に恩義を感じ「徳」を称えたという。
また、武田信玄はお礼の品として太刀を上杉謙信に送ったとされている。この太刀は東京国立博物館に所蔵されているようだ。
しかし、このエピソードの真偽の程は確かではないが、現在でも報復処置と経済制裁を課すことはめずらしいことではないと思う。
「塩止め」に対して、上杉謙信ならこのような行動を起したのではないかと想像できます・・・。
【 武将アイコン 】は、
「戦国武将絵巻」「戦国未満」からお借りしています。
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> もしもタイムマシンで一回だけ好きなトコ行っていい、といわれたら是非行ってみたい時代ですね。
>
> 幕末も捨てがたいですが・・・^^;
【キースさんへ】
コメント有難うです
もしもタイムマシンで・・・。
私もこの時代に行ってみたいです。武田信玄が生きていた、この時代に